躰の中に何かを入れるという点において、人間の三大欲求というやつはそれなりに似通っているのではないかというのがロックオンの今日の議題、或いは話題だった。特にすることもない昼下がり、ティータイム。本当はやらなくてはいけないことなど山積みで、たとえばひとを撃ったり殺したり、世界を撃ったり壊したり、と忙しい筈なのだが、久々の地上であるし、どうにも今は、タイムテーブルが綺麗に書けない時期にきている。そう思ってロックオンは口を開いたのだ。
「で、どう思う」
頬杖をついたロックオンの向いに座っているのは、議論には向いているが茶飲み話には向かない眼鏡の美人だった。背骨が鉄ではないのかと思うほどきちんと背筋を伸ばし、先ほどから一向に狂わないペースで延々と目の前の皿を片づけている。
「どう思うとは」
だァから俺の今日の質問に対して、だよ。ロックオンは頬杖をやめ、代わりに組んだ両手にあごをのせた。年頃の少女か妙齢の美女がやるのにふさわしい仕草。ロックオンではあまり可愛くはない。
「……人間の三大欲求についてですが、」
「ああ」
「まずガジェットとしては使い古されている。面白いか否かというより、先が読める」
「そうか?」
「たとえば、」
ティエリアの口元と皿とを往復している小さな金色のフォークは、それなりの速度を出しているように見えるのに一度もかつんと音を立てなかった。あくまで上品に、無機質に。その正確なテンポは、ロックオンに信号機の点滅を思わせた。進め、止まれ。生きろ、やめろ。
「たとえば、朝の話が良いでしょう。朝、男が目覚めると、すでに起きていた女が食事をしている」
「そうだな」
「睡眠によって休息を、食事によって有機物、エネルギーを。なるほど躰に何かを入れている。それで女の躰は埋まったとしましょう」
「んん」
「そこで男が起き上がって言います。『人間の三大欲求とは、』」
今日のメインであるトマトソースパスタをたいらげたティエリアは、息付く間もなくショートケーキにとりかかった。苺を丁寧に横にのけてスポンジにフォークを立てる。苺は置いとく派なのかいと笑おうとしてやめた。
「……人間の三大欲求とは、睡眠欲、食欲、」
「あーなるほど。こりゃ先が読めるわ」
「分かれば良い」
「朝っぱらからとはお前もなかなか素敵な例題出すねぇ」
「ありがとうございます」
「……」
氷山を崩す速さでショートケーキが解体、吸収されていく。躰に入っていく黄色と白は、ティエリアの中で何になるのだろうか。体内組織に特別詳しいわけでもないのでよく分からないが、それでもロックオンはにやりと微笑んだ。埋められていく躰。組んだ指のその先まで重くなる充足感。
「もうひとつの例題もありますが」
「多分それは、おれの方がよく分かってるよ。だろ?」
ほどいた左手で左胸をぽんと叩いたロックオンを見て、ティエリアは僅かに眉をあげた。分かれば良いと切り捨てることも出来たのに、
「我々と同じ船にいる人間は、皆分かっている」
「穴の大きさはまちまちだがな」
「そこで穴と言い切ってしまうから、あなたは先が読めると言われるんです」
「なんなら空洞と言おうかねぇ?」
「三流だ」
「喪失感と言ってもいい」
「それは違う。れっきとした喪失と、喪失感は違う」
「埋めたい度合が?」
「埋められるか否か、が。現にあなたは、もはや埋めようなどとはしていない」
「築かれた屍の山で、つーのは」
「それも違う。あなたは穴の、空洞の、喪失という事実にある無を、有るものとしている」
「無いのに有る、」
「何も無い、……失くしてしまったことを、そういうものだと捉えている」
「ティエリア、」
「そうです。僕は話をはぐらかそうとしている」
目を伏せて、ティエリアは低くそう言った。苺にフォークがゆっくりと刺さり、初めてそのテンポが崩れる。赤くみずみずしい表面をフォークの切っ先がつぷりと突き破り、苺を貫いて汁が溢れるのを、まるでスローモーションのようにロックオンは見た。じゅるりと水気が滴る。生きている苺と、そうでない苺の境を見た。そう思った。
「口をあけて」
「あ、?」
間抜けにも返答そのものが命令どおりに躰を動かしたことになっていて、ロックオンは色々と釈然としないまま、咥内に放りこまれてきた『そうでない』苺を咀嚼した。水っぽいと思ったのは見た目だけだったようで、確かに歯の間で分解されていく感覚がある。
「……ティエリア、」
「お望みならその口塞いでやりますが」
「そういうものか」
「そういうものです」
ロックオンがすべて飲み込んだのを見届けて、ティエリアは席を立った。もう用は無いと言いたげなその後ろ姿に、ロックオンは左手をひらひらと振った。ありがとうも何もいらないのは、そういうものだからだろう。急に眠気を感じて瞼を閉じる。満たされない左胸に、苺はもう届いただろうか。