開始15分で壁の花を決め込むのはいかがなものかと思うのだ。そもそも壁際にしつらえてある柔らかな皮張りのソファは、めまぐるしいダンスに細い足首を痛めた可憐なお嬢さんのためのものであって、そこでふんぞりかえっている無愛想な眉毛のためのものではない。優雅さと傲慢さのぎりぎりの境で足を組み、つまらなそうに黒いブックカバーのかかった文庫本を眺めている。この場において奴が守っているのは、ドレスコードと二足歩行であること、ただそれだけだった。仮にも要人主催の立食パーティーである。告げ口してやろうと相手の上司を探したが、歩いてきたボーイと先に目があったのでシャンパンを貰って諦めた。
「イギ、……ミスタ・カークランド?」
正面に立ちはだかるような真似はしない。声が届くくらい近くに寄って、ソファの真横、壁に背を預けて立った。
「ミスタだって?」
「失礼。サー・カークランド?パーティーはお気に召しませんでしたかな?」
低い位置にある金色の頭が小さく揺れる。目線は合わせない。
「いや、下手な英語を聞かされて吐きそうになっているだけでね」
誘いならご婦人に、と小さく付け足される声は笑っていた。当たり前だ、誰がこんな無粋な眉毛を誘うかよ。隣人は俺から奪い取ったシャンパンを一気に呷ると、ぬるい、まずい、足りない、それから流れるようなスラングを二つ三つ、呟いた。思わずその表情を確かめる。ともすれば十代にも見えてしまうカークランド卿は、ちらりと俺に目をやって微笑んだ。
「出来ることなら失礼したいんだが、ボヌフォア卿?」
「隣国の紳士殿はつれなくていらっしゃる」
「十二時の鐘がなる前に帰らなくては」
「呪いがとけて美しい眉毛が手に入るでしょうよ、可愛いサンドリヨン」
「は!自国の物語もはき違えるほど耄碌なされたか、愛しいシンデレラ?」
細められた翠の両目の、なんと可愛くないことか!俺はもはや悪態をつく気も失せて、ついでに言葉も崩してしまった。
「なに、そんなに帰りたいの、おまえ」
「ったりまえだろ。料理もダンスも音楽も飽きた。うぜぇ。酒飲みてぇ。とっとと帰らせろ」
「やだよ俺だって帰りたいもん」
「もん言うな変態。てかテメェの家の行事だろ国家が帰れるかバーカ。ざまぁみろ」
「あのね……」
人目を気にするのも飽きたのか、持っていた本でばっさばっさと叩かれる。ふと気になって中身をのぞいたら、案の定女の子が一糸纏わぬ姿でアレやらコレやら致している小説だった。流石はエロ大使である。おまえも大概巨乳好きね。菊がくれたんだ。ああそう、聞いたお兄さんが馬鹿でした。挿絵のクオリティ自重、と呟きたくなる。
「いくら立食とはいえ、チマチマ気ぃ遣うのは面倒臭ぇ。テメェ自宅にまだあんだろ、いつもの白ワインと即席のツマミ。あれでいい。音楽は頭に響くからテレビのニュースで十分だし、目ぇ痛いから照明もいらね。あとフランス女はどこもかしこもフワフワしてっから骨が折れる、」
倦んだ顔でにやりと笑う。ああ飽きたのね。飽きて、それで別のところに火がついている。

「―――じゃあ、料理が上手くて部屋のセンスが良くて、セックスの上手いフランス男はいかが?」

こんな公式の場であえて砕けたお誘い――というには爛れすぎているが――を使うのは、なかなか背徳的で良い。こいつの口の悪さも、この後ろ向きな快感に起因しているのだろうか。だとすればたいした変態ぶりだが、一番の変態はこいつの歪んだ唇に噛み付きたくなっている俺かも知れなかった。 「条件はそれだけか?少ねぇな」
「えー、じゃあ顔が良いとか?坊ちゃん、お兄さんのカオ好きでしょ」
「しねばか」
カークランド卿は立ち上がり、ボーイを指一本で呼びつけて空になったグラスを返した。傲慢な女王様そのものだが、大体それで合っているので俺も大人しくひれ伏すことにする。
「それじゃ、料理もセンスもセックスも最高で、朝までアーサーに優しいお兄さんはいかが?」
「……そのアゴにこびり付いてる小汚ぇコケをむしっても良いんなら、考えてやらんこともない」
当然朝食も付いてくるんだろうな、なんて。もしかしてそれが狙いか、と言いかけたが、好物件のお兄さんは黙ってウインクしてやった。