「ハサミひとつ。見た目は可愛いし、軽くて便利だ。でも僕には必要無いかな。動ける範囲が狭すぎる道具より、もっと鋭く美しいメスを持っているからね。僕はそれで人を裂くよ。生きていくには重過ぎるものを取り除くために。世界の一番汚い所を裂きたいな。僕がそれを好む限り、それは僕にとっての神であり続ける」
「ハサミひとつ。どうしろってんだ、別に切る紙もねぇぞ。それに俺には必要ない。柔らかいモンにしか敵わない刃より、もっと硬くて重い拳を持ってるからだ。俺はそいつで人を殴る。俺を怒らせる全てを打ち倒すために。世界の気に入らない部分を粉々にしたいんだよ。俺がそいつを信じる限り、そいつは俺にとっての神であり続ける」
「ハサミひとつ。正しい使用法を放棄して、握り締めて突き刺せば人を殺せるね。まあ俺には必要ないな。たった2枚の銀色より、もっと速くて冷たい言葉を持っているからさ。俺はそれで人を縛るよ。目に見える事象に首輪をつけるために。世界の為す偶然とやらに盾ついてみたいんだ。俺がそれらを愛する限り、それらは俺にとっての神であり続ける」
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「非細工の小刀減らし」
ぼそ、と呟かれた一行に静雄は目だけを動かして応えた。声帯を震わせて発声するほどの体力は残っていない。折れそうに微かな日差しを吸い込んだ屋上のアスファルトが、大の字で寝転がった静雄の体温すらも貪欲に吸い込む。
「・・・あァ?」
「現状」
「知らね、」
反駁するのも面倒で、しかし悪い意味であるのは手に取るように分かったから、喋りな男が解説するのを待った。
「労力に比べて成果が上がんないってことだよ」
静雄の狙い通り、臨也は簡単に意味を明かして小首をかしげた。
「わかる?」
「―――バカにすんな」
「今更」
ぶわっと吹き抜ける風で臨也のシャツが大きくはためく。バックが青空だったら爽やかさも少しはあるのだろうが、いかんせん今はどんよりとした曇り空だ。おまけに寒い。臨也はひとつ伸びをして足元に脱ぎ捨てられていたセーターを取った。白く薄い背中、真っ白なカッターシャツ、その上に紺色のセーター。それを包むのは沈んだ灰色。ひとつずつ闇を被っていく臨也を静雄は哂う。外にいくにつれて黒くなりやがって、本当は真逆のくせに。
「いたた・・・もう外でヤんのやめよ、寒いし」
「外でも中でもヤりたかねえよ」
「誘いには乗るじゃない」
「誘い方が性悪すぎる」
「今更、」
にやりと笑う。静雄は片頬を歪めて、それでもやはり反駁せずに煙草を銜えた。視界は遥か、鈍色の空。赤く灯った煙草の先から、白色の煙が細く天に昇ってゆく。天空に近づくにつれてそれは薄い灰色になった。綺麗なままで天に昇れるものなど本当は無いのだろう。ならば地上の時点で汚れている自分達は、一体どうやって?
「・・・邪魔だボケ」
「俺は大真面目だよ」
ずしりと腹に重みがきて、仕方なく呻くくらいの出力を己に許す。静雄が顔を背けると臨也は楽しそうに笑ってアゴに片手をかけた。感触から想像するより強い力で上へ向かす。真正面、一直線に視線を合わせた。静雄の目の中には天空の灰色と黒い悪魔、臨也の目の中には人工の灰色と黄色い破壊者。背筋を這い上がるのは支配する悦びか、服従する快感か。臨也はもう片方の手で静雄のポケットを探り煙草を取り出すと、馬乗りになったままでそれを銜えて顔を近づけた。目を伏せる、静雄の目は動かない。まつげの一本一本が分かって、静雄は吐き気に似た感嘆を覚えた。煙草の先が焦げる音がする。
「何」
「あ?」
「凄い目で見るね、俺を」
「殺気込めてんだよ」
「熱視線かと思った」
「死ね」
クスクス笑って臨也は煙を吐いた。人差し指と中指で綺麗に挟んだ煙草をゆらゆらと揺らす。
「お前の指見る度に折ってやりたくなるんだけどよ、」
「ふうん?」
「どうせなら腕ごと取ったほうが早ぇか、っていつも思いとどまる」
「待てとお座りは出来るわけね」
キレる間も無かった。静雄の顔のすぐ横に肘を付いた臨也はざらりと―――ニコチンの残る舌で、ざらりと静雄の顔を舐めた。
「っにを、」
「いいこにしてるからご褒美だよ」
「あァ!?」
「線引きなんて疎ましい、どうせ堕ちる先は一緒の地獄でしょう」
「一緒にすんな」
「綺麗に昇華できるとでも思ってんの?」
「それは、」
「無理だね」
ひとつずつ封じられていく静雄を臨也は哂う。
「なんのために俺が大嫌いなシズちゃんに乗っかってフタをしてると思ってるの?」
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腐乱死体が、という一語が微かに耳に残って、臨也はそれでふっと目を醒ました。欠伸一つで涙が出た。潤んだ目で画面を見やれば、ヒゲの濃い白衣のオヤジが、これまたいかついヒゲの警部に死体の説明をしているところだった。
「んー・・・」
「おっまえ起きるの遅ェよ!見ろジュリアナ死んじまったじゃねえか!」
臨也の隣で懸命に映画に喰いついていた戌井が吼える。臨也の中にはもはやジュリアナなどという女は残っていない。半分寝ながら観ていたものだから、主役以外の知識があやふやだった。
「誰?」
「ひっでえ!警部の娘のクラスメイトだよ」
「脇役じゃん」
「この子皮切りにして犯人追い詰めてくんだっつの!」
「あ、そ」もう一度欠伸。
もう10回以上この映画を観ている筈だが、戌井はちらりとも視線を画面からそらさず唸った。
「薄い財布叩いて借りてきたんだからちゃんと観ろって」
「テディ」
「?」
ずっと頬杖を付いていたせいで右腕が痺れている。臨也は左側、戌井の方に身体を傾けながら目を閉じた。
「テディ。犯人でしょ」
「何で」
「ほかにルートが無い」
このやろお、と叫んで戌井はもたれてきた黒い頭をがしがしかき回した。
「警部をバカにすんのか!」
「ああ無能だよこのオッサン、今から皮切り?遅すぎだって」
「キサマー!」
「ヒゲも剃ったほうが良い、似合わないから」
「何でよダンディだろうがよ」
「だんでぃー?」
「あ、ツボった?」
「もう黙れお前」
「ひっでえ」
戌井の手を叩き落す。画面の中では大仰な身振りで医者が犯人の残忍性を語っていた。警部が顔をしかめて少女だったモノを見る。横たわった裸体は、辛うじてそれがヒトと分かる程度のもので。
「―――汚い死体」
「綺麗な死体なんてあるわけねぇよ」
ふいにぞっとするほど冷たい声で、血まみれの犬が呟いた。「なぁ?」
薄笑い、それに同調するように、制服を着た正義の味方が早口で神を罵った。臨也も目を伏せて笑う。字幕は必要無かった。耳に刺さる憎悪の声、それだけがヒトの全てで、濾過された感情などには二人とも興味が無かった。
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「平気な顔してフフンフーン」
「何ソレ」
「や、フフンフーンの部分の歌詞が思い出せないの」
「あっそ」
「ええっ興味無し!?ちょっと思い出してよその無駄に良い記憶力で」
「無駄だからねえ」
「うそうそスミマセン。ええと、女の子の歌なんだけど」
「・・平気な顔してオヤジとセッ」
「ちがーう!!絶対違う!!」
「そう?結構正確な現代日本の姿を表してると思うけど」
「そんな歪んだ姿歌い継がなくていいでしょうに」
「面倒臭いな。シズちゃんどう思う」
「あー?『平気な顔して』?」
「今さらっと面倒とか言ったね君」
「そう平気な顔して。女の歌だって」
「平気な顔して・・・キ」
「ええーー!!ちょっと待ってよシズちゃん!鳥肌立っちゃったじゃん!」
「ままま待ってよ静雄ちょっと落ち着いてよ!」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「平気な顔してキスするのーとかだったら殺すよシズちゃん」
「・・・・・」
「マジ図星!?うっそ新羅くんびっくりいいいいいたたたたたた」
「平気な顔して生きてる臨也今すぐ死ねー」
「平気な顔して肺呼吸してるシズちゃんエラ呼吸に切り替えて挑戦した後死ねー」
「長いよ。フフンフーンにどんだけ文字詰める気だよ」
「「平気な顔して面倒臭い生き物新羅、死ねー」」
「ユニゾンやめて!!」
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※帝人と臨也、寓話
欲しいものがあるんだよと笑った顔が酷く美しかったので僕は少し戸惑いました。
それは何ですか、僕も知っているものですか、と僕はその美しい人に尋ねました。
その人はもう一度笑って君も手に入れることが出来るものではあると言いました。
そこで僕は酸素と窒素と二酸化炭素を必死にごくりと飲み込んで彼に聞きました。
どこに行き何を見てどうすればそれを手に入れることが出来ますかと聞きました。
彼は少しだけ笑みを薄くしてふふと息を零しながら僕の目を見てこう言いました。
どこにも行かず何も見ず何一つしないままそれを手に入れてほしいんだよ実はね。
それはあまりに無理なお話だったのでそこで僕は彼の首に手をかけて言いました。
つまりあなたは僕には一生涯絶対出来ないとそう言いたいんですねと言いました。
彼はもっと薄まった笑みを浮かべ僕を突き放すとそんなことは無いと囁きました。
僕は神が欲しいんだとにやりと吊り上った唇は綺麗な赤色の三日月に見えました。
僕にも出来る神の捕らえ方を教えてくださいと僕は彼を殺す勢いでさけびました。
そんなもの無いよだってもう僕は望みを叶えていると彼はまた笑って言いました。
ああつまり僕はどこまで行っても無用なものかと僕もにっこり笑って言いました。
彼が赤い三日月から紡ぎだす美しく酷薄な音は神懸かってさえいると思いました。
良いかい、俺がこれらを愛する限り、――これらは俺にとっての神であり続ける。
そう微笑んだ臨也さんが酷く楽しそうだったので僕は天を仰いで息を吐きました。
今ここにハサミがあればこの人の神を貫けるのに、ととても残念な気持ちでした。