輪廻転生を最初に思いついたのが誰だか知らないが、なるほど世界は円になって閉じて
いると刹那は思った。まず生命の循環、食物連鎖、そして怨恨。今ここでふるった剣が
切り裂いた暗闇は、いつか霧になって自分を迷わせるだろう。何もかもが繰り返す。何も
 かもが還ってくる。誰かに親切にしたらそれだっていつか返ってくるさと笑った年上の男は自
身がそれを全く信用していないような顔つきだったので、他になにか良い例は無いかと思
 っ刹那は頭を回転させた。回転。円を描く。なんだここも閉じているじゃないかと妙に満
 ち足りた気分になって顔を上げた時すでにその男はそこにいなかった。刹那は今も自分の
 後ろから彼が円周を辿ってやってくるんじゃないかと思っているが、自分が歩いてきた道は
 迷いい直線だった。まるで剣のような。こうして報いは返ってくる。円を描くようにして。
 
 
 
「それでもこの手は剣を振るう、」
 
 
 
ア イ ル キ ス ユー  3
 
 
 
 
 
 
 
 
目が覚めても電気をつける気になれずに、しばらく暗闇の中で息をするのが刹那の習慣だった。起きがけにみる世界はいつも薄暗かった。今朝も今朝とて、刹那は何度かブランケットの中で身じろいだ後、腕だけを伸ばして手さぐりにヒーターの電源をつける。ブン、と低い音がした。
 
数分の後、刹那はゆっくりと身を起した。反射的にベッドサイドの電子端末を探す。緊急の入電は無し。時刻だけを確認してそれを手放し、かわりに別の電子機器に触れる。時間をかけても構わない、とティエリアは言っていた。上限は無い、急ぐ必要も無い、ただお前が最後では無いことは忘れるな。淡々と、まるで暗記した口上を述べるように彼はそれを伝えて、刹那の前から立ち去った。それがなんだか不思議な気がして(たとえば小言じみた注意点なら彼はもっとたくさん思いつく)、今までなんとなく遠まわしにしてきた預かりもの。刹那のものでも、ティエリアのものでもない。何の変哲もない、
 
(・・・メディアプレイヤ?)
 
 
すぐに思いつくのは、うた、という単語だった。刹那は歌が嫌いでは無い。嫌いでないというのは、限りなく好きに近い、と我ながら思うほど、歌を拒絶していない。滅多にはやらないが自分で口ずさむことすらあった。誰にも聴かせたことはない。
 
(1曲だけ、なのか)
 
音量をノーマルより少し落とし、イヤホンを両の耳にそっと入れる。細長く繊細な機械を片手で包むように持ちながらベッドを降りた。薄いカーペット敷きの床は少しだけ温まっていて、刹那の素足に遠慮がちに熱を伝えた。それでも決して暖かい場所ではない。刹那はヒーターの前にそろりと移動して、音も立てずに座り込んだ。目覚めてすぐ、夜明けと少し。僅かな音で壊れてしまいそうな薄闇と静寂の中で、ゆっくりと再生ボタンを押す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「なんの為に目覚ましがそこにあるんだよ!」
もういつの話かも危ういほど昔、刹那の隠れ家に泊まったロックオンがそう叫んだ事があった。刹那がホストでロックオンが客である。それなのに客は家の主人が起きる3時間前に起きだし、昨日の洗濯物を干しダイニングを掃除して朝食をつくってから刹那を起こしにきたのだった。眠い目をしばたかせながらテーブルを見やると、安物の小さなコップにギリギリまで注がれたミルクが鎮座していた。
 
「・・・表面張力が限界だ」
「地震が来たらコップとミルクに謝れ。いいか刹那あのな、目ざましをなんで枕もとに置くか分かるか」
 
なんだこの男は怒っているのか、と刹那は顔をあげるが、微妙に笑っているみどりの目と引き結ばれた唇が目に入ってきて混乱する。どっちだ。
 
「・・・・起きてすぐ時刻を確認するため」
「それは起きてからの話だろ!」
「ベルを止めるため」
「それも起きてか・・・まあおまえは無意識にやってるけど。違う!」
「じゃあ知らん」
「投げんなよ!あのな、目ざましには妖精がいるんだ」
 
ロックオンは必死にまじめな顔を保っている。こめかみにピクリと皺が浮くのを刹那は見逃さなかった。
 
「その妖精は騒音担当でな、時計にくっついてベルの音がなるだけ人に不快に響くように頑張ってるんだよ。じゃねえとあんなに目ざましがイヤなモンであるわけが無い。で、必死に鳴らしたベルでも起きないよーな聞かん坊は、その妖精が持ってる鎌でスパンだスパン。悪い子はおまえかーつって」
「最短距離から一撃で首を狙いたいということか」
「・・・・・や、あのー、ほら、妖精は人に見られると死ぬんだよ。だから時計からその子までの距離が結構あったらホラ、あれ、飛んでくる間に見つかっちまうだろ」
「・・・・・・」
「つまり目ざましが鳴ったら速攻で起きろと言いたいんだ俺は!」
 
というかお前いつまで寝転がってんだよ!ロックオンはついに噴き出しながら刹那の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。犬にするような強さでやるものだから、前髪が好き勝手にはねて目に入る。刹那はたまらず目を閉じた。ついでにもう一眠り出来る、と脳裏でひそかに思う。
 
「あ!こら!寝んな!」
「寝ていない。目を閉じているだけだ」
「せつなー!」
「ロックオン、起きているというのは、限りなく、寝」
「寝ていない状態に近いとは俺は思わないね。起きてるっていうのは生きてるってことだ。生きてるってのは、」
 
にやりと笑ったロックオンの声をかき消すように、目ざましのベルが派手に鳴り響いた。オフにしていなかった!ほら妖精が来るぜとロックオンが笑う。
(最短距離で首を、か)
腕を伸ばせばたやすくキスできそうな立ち位置だった。その時は。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どうしてあんなに意地になって目を閉じていたのか、今の刹那には全く理解できなかった。ヒーターは皮膚をあぶるように熱くしていく。つま先と、膝を抱えた腕ばかりがじりじりと温もって、反対に体の中が恐ろしく冷えていた。刹那は眼が乾くのもほとんど気にしないまま、微塵も動かずにプレイヤを見ている。口の中も、唾を呑む喉も、腹も、おそらくは心臓さえ、驚くほど凍てついてクリアだった。ただ鼓膜だけが溶けそうに熱い。熱い。
 
(何故、)
 
昔はもっと朝が怠慢だった。何もない日は夕方まで微睡んでいたかったくらいに。今ではもう、・・・目ざましの必要などどこにも無いのはどうしてか。
ティエリアは恐らく、と刹那は思った。ティエリアはこれを聴いて、自分と同じひとを思い出しただろう。そうしてもしかしたら、鼓膜が熱くなって、鼓膜と同じくらいに、
 
(目を閉じるというのは、眠ること)
(起きているというのは、生きているということ)
(生きているというのは、)
 
ひゅ、と息を吸いこんだ気管が痛んで、刹那は唇を噛みしめる。メディアプレイヤが再生を終えるころ、刹那はすでに立ち上がり、部屋よりもっと寒い場所へこの音楽を届けに行っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生きているというのは、まだ死んでいない、ということでは無いはずだから。