ドアベルを鳴らしてから3秒。出てきた家主の、そのどこか艶のない両目、蛋白質と脂肪と筋肉。なるほど人間を美味しく召し上がることはきっと可能だ、たとえひとのかたちをした国家であろうとも!特に挨拶もせず上がりこみ、鼻をついた悪臭に思わず家主を振り返る。家主は目を泳がせている。これは、そう、新鮮なユリの、……言葉が端からぼろぼろと焼け焦げて、床に散らばったそれはまるで失敗した時のスコーンのようだった。せりあがる胃液を飲み下しながらリビングを通り、問答無用で寝室のドアに手をかける。
「待て、」
「何を?」
ベッドの上に全裸の女が転がっていた。こちらを見ようともせず、仰向けのまま煙草をふかしている。はしたないレディは床に落ちた下着に足を伸ばし、つま先でそれをぶら下げてみせた。ノックも無しなの、……フラン?残念ながら俺はそんな名前ではないので、この世で一番綺麗な音で口笛を吹いてやった。
「見ろ、お前の新鮮なユリは、こんなにも精液の臭いがする!」
それからバスルームに行って、持ってきた薔薇の花束を全部トイレに突っ込んだ。便座から溢れて咲き誇る深紅の美しさと言ったらなかった。世界一高級なホテルにだってこんなトイレは用意出来ないだろうと思った。
「待てよ、」
「だから、」
バスタブには薄く湯が張られていた。浅瀬でやるセックスは愉快だろう?波が立たないことだけがリアルじゃないけれど。高笑いしながら(なんて慣れた動作だろう)栓を引っこ抜き、女と家主が嘘っぱちの海辺で楽しんだ名残を下水道に流した。ついでに左手の中指から銀色の指輪を引っこ抜き、3,2,1でさよならをする。ドポン。重力に敗退せよ、汚水に歓喜せよ!
「なにを待てと?」

指輪の行く末を見もせず玄関に向かう。飾り棚の上に置かれてあった陶器の天使を行きがけに指で弾いたら、簡単に床に激突するのだから笑ってしまう。なあなんて軽薄なんだ、お前のとこの「誠意の愛」ってやつは!粉々になったそいつの上に合鍵を落としてブーツの踵で踏みつける。ああ、そうだ、愛していた!
「それも今日でおしまい、だ」
最後にドアを閉めて、俺はフランスの家を出た。