脚の長さがきちんとそろっていない俺の机は、腰掛けて足を浮かせるだけで不安定に揺れた。ぐらりと傾き、重心をずらすとがたんと戻る。がたがた。お手製の地震を繰り返してみたが、誰もいない教室にむなしく響くだけだったのでやめた。味気ない。天気も悪い。


午後の体育を潰すように降り出した小雨は、あいかわらず中途半端な勢力のまま降り続いていた。降るなら降るで大雨になりゃいいものを、と、傘を持っていたクラスの連中はぼやきながら帰って行ったのだ。残念ながら薄いカバンひとつで学校に来てしまった俺は、濡れて帰るか止むのを待つか、それ を悩んで教室にいるわけである。不毛すぎる。7限が終了してすぐだから、窓から見下ろす校庭にはたくさんの傘の行列があった。偶然にも黒い傘ばかりが開いている。コウモリ傘というやつか。コウモリ、の漢字が思い出せなくてちょっと苛々した。

(……葬式かよっていう)

鬱陶しい小雨の中だ。わざわざ立ち止まって空を見上げるような酔狂がいるわけもなく、ただ黙々と黒い傘が進んでいく。どいつもこいつも俯いているのだろう。中には背丈に合わないほど大きな黒傘をさしている奴もいて、そいつの影すら闇に塗りつぶされているような気にさせられる。雨の音だけが空気に 混じって重い。教室の酸素が薄くなる。

「あ、?」

気づいていないわけではなかったが――ふっと目線をずらした瞬間にばっちりそれを見てしまい、俺の口から変な音が飛び出た。ああ最悪だ目が腐った。厭だいやだと思うのに目を細めてそれを見つめる。校門の横、支柱にもたれるようにして立っているビニル傘の男。200円くらいの安物の傘は、持主の顔をぼんやりと歪めて透かしている。おまえにはボロっちい傘がお似合いだぜクソ臨也、といつもなら言うところだったが、

「てめぇのせいで葬式が台無しだぞコラ」

俺の罵りが届くわけもない。ひとり空気を読まずに(てめぇに非が無いことは分かってるよ!)透明な傘をさしている臨也は、どうやら他校の女と話しているようだった。臨也より頭一つ小さく、俯いて何かを喋っている。時々ぱっと上がる顔は笑顔には見えない。

「……ていうか泣いてんじゃねえのかアレ……?」

あ、と思った瞬間に、しきりに顔をぬぐっていた女の手がばっと振り上げられた。平手か裏拳か?よし行けやっちまえ!見ず知らずの女に心の中で声援を送る。どう考えても届かないがまあいい、こんな陰鬱な天気の日に無様に殴られる折原臨也が見られるなら俺は何だってする。やっちまえ!臨也の顔が見えないのが少々残念だが、相変わらず無表情に立っているのだろうということが簡単に予想できておもしろくなかった。ここに新羅でもいればブン殴ってるところだ。
しかし見事に声援は裏切られ、女は臨也をぱあんと打つことはなかった。振り上げられた拳は――いや手のひらは――

「……えげつねぇ!」

あろうことか臨也にがっしり止められていた。

「最悪だろ。そこは殴られるだろおまえ……」

全面的に臨也が悪いケースしか考えられないので、もちろん正解だってそれしか浮かばない。簡単に女の手首をつかんだ最悪男は、そのままその腕を引き寄せて抱きしめ……訂正、単に引き寄せて顔を近づけた。限りなく抱きしめているように見えるが、実際は密着面積がちょっと増えただけ。自分は絶対に濡れまいとする臨也の最小限の動きは、それはもう冷たかった。俯瞰でいる第三者の俺から見ても十分に非道と思えるまでに。それでいてさりげなく傘を傾けながら、女の耳元に鼻をうずめて何か言っている。女の表情は細かくは見えないが、臨也がすっと顔を離す頃には薄く笑っているようだった。意味不明だ。

「……意味不明だっての」

道端の小石を蹴るような身軽さで女が背伸びをし、一瞬触れるだけのキスをする。そのまま傘から出てどこかへ走って行った。うわあ。分かんねぇ。なんだあれ。それでもって一部始終を見てしまった俺自体がナンダコレだ。がったん。大きく揺らした机は、しかし何事もなかったように元の姿勢に戻る。

透明な傘をさす真っ黒な臨也は、しばらくじっとしていたかと思うと不意に顔をあげ、こちらを向いた。窓際の前から2番目、自分の机に腰掛けて外を見ている俺、に気付いたかどうかは分からない。基本的に、臨也はとりわけカンが良いというわけではないと思う。カンに頼っているのはむしろ俺の方で、だから仮に臨也が俺に気付くとしたら、今日は午後から不意の雨だった→シズちゃんはどうせ傘を持ってきてないだろう→このくらいなら止むのを待ってるかも→待ってるなら教室だろう→ああ電気がついている→窓から雨を眺めるのが妥当→じゃああれはシズちゃん?みたいな感じのはずだ。徹底的に現実的で、ひとつずつ考えを重ねていくタイプ。それを表に出さないから、たまにああやって馬鹿な女がふわりと心酔するのだ。馬鹿らしい。

(見てんじゃねーよ!)

半身だけ振り返った臨也がじっとこっちを見ている。笑ってる?それとも無表情?どうでもいいから早く帰れ、

「し、ね」

俺に気付いているという大前提を置いて、俺はオーバーな程大きな動きで臨也に殺意を伝えた。親指で首を切る仕草。なに、と言いたげに臨也が首を傾げる。

「ぶっ、こ、ろ、す」

もう一度同じ動きをして、そのあと中指をびっと立ててやった。首を元に戻した臨也は、

「――!」 にっこりと笑って親指を下に突きおろした。じ、ご、く、に、お、ち、ろ?
「てめぇがな!」

はははと笑う臨也の声が聞こえてきそうだった。ついさっきまで女に泣かれてた奴が出す笑い声じゃねぇよそれ。強く舌うちすると、おかしそうな顔をして臨也は学校から離れていった。くるくると透明なビニルが回っている。気持ち悪いからブリッコすんな。よく考えれば、走って行って臨也を殴って傘を奪えば良かったのだが、気づいたときには視界に誰もいなかった。

「……あー」

がたん、がたん。バランスの悪い机を右に左に振って嘆く。どんなに不安定で歪でも、最後には元にもどるのだ。明日にはまたいつもどおりの殺し合いが再開するのだろうから、今日、あっさり帰ってしまったボロ傘の男がちょっとおもしろくなかったのも一時の迷いというやつで。何に迷ったかなんてのは分かりたくもない。(雨の日はカンが鈍る、)そういうことにしておこうと思う。