アキレスを切るような音がして視界が一瞬にして黒になった。実際アキレスなんて切ったことも切られたこともないのだけれど。
回転していたファンは止まり、低く唸っていた空調も止まり、白々と発光していたディスプレイも消えた。すべてのアウトプットを遮断されたのでは、息するより他にないではないか。立ちあがってカーテンを少しめくる。ここら一帯が同じように沈黙していた。
「暗いなあ」
車通りも途絶える時間帯。卓上のデジタル時計は文字盤が良く見えず、携帯を開こうとしたところで充電が切れているのが分かった。充電器から延びる黒いケーブルが小さなとぐろを巻いている。弱小者の、蛇。いっそ動き出してくれれば良かった。赤い舌をちろちろさせて、突然の停電に歯向かってくれればそれもまた一興。現実に起きえないことをファンタジィと呼ぶことは知っている。
(たとえば俺が、)
不用意に振り返ったことで、足もとにあったリモコンらしきものを思い切り蹴飛ばした。つま先に鈍い痛み、恐らく滑りながら飛んでいく長方形。カツンと壁に当たって停止する。ふと、ここが箱庭のような、そんな閉塞感に襲われた。電気も無い、電波も無い、整然と閉じた世界。イッツアスモールワールド、なんて曲もあったけれど、本当のスモールワールドは歌に出来ないくらい暗くて澱んだところに決まっている。早く復興しないかなと思った瞬間、電気が復興することを微塵も疑わない自分に気づいて笑った。もう一生(この世界が)暗闇のままだったら?不安定な中学生なんかは泣き出すかもしれない命題だった。比喩でも何でもなく、物理的に暗いまま、というのは冷静に考えて生きづらい。そして比喩の場合、この先の人生だとか、たった1秒先の話だとかの違いはあるにしても、
「暗いのはちょっとね」
ブレーカーを点けたり消したりするものの一向に状況は回復しない。隣人達も同じなのだろう、水を打ったようにしんとしていた。視界の悪い中歩き回るのも馬鹿らしい。うっかりリモコンを蹴り飛ばして部屋の狭さに悲しくなったりしてしまう。独り言とただの呼吸が同じ重さで空気に溶けていくのもなかなか味気なかった。ただ波江を帰しておいて良かったのは、足元にモノを置くなという彼女の数少ない指令を思い出したのがたった今という点において、ということのみ。元来誰かとずっと一緒にいるのが好きかというとそれもまた別の話だが。思考すら面倒。
携帯もパソコンも、空調も照明もファンも機能しない箱庭で、あらゆるコードを引きちぎった人間が、最後に得ようとするものは何だろう。それは依存と同義かもしれないし、だとしたら脳裏に浮かぶ相手というのは果てしなく相応しくないものだったが、区切りのない思考がつらつらと編む相手としては結構お似合いのように思えた。対極、敵対、正反対。赤と青、白と黒、デジタルに縛られる俺と、アナログから脱却しない彼。不変のスタンス。リアルに根付くファンタジィ。
箱庭の外には誰がいる?