殺されるなら密室がいい、シズちゃんと空気以外の何物にも触れられたくないから。そう言うと彼はひどく嫌そうな顔をして舌を打った。短い破裂音に肺がきゅうと絞めつけられて、それだけで死にそうになる。ひとの儚さを、怪物である彼は根本的に理解していない。

叩きつけられたエレベーターの壁はひんやりしていて硬かった。ボタンが背中にあたって痛い。自室のある階のボタンは押せただろうか、俺の背骨、脊椎、それから腰骨はそこまで優秀だっただろうか。もしかしたらいっぺんにいくつものボタンを押しているかもしれない。耳元、ぐしゃりと髪をつかんだ彼の右手が軋む。バイオレンス。出会ってから今まで、いろんな言葉を紡いだけれど、いつだってそこに戻る。とめどないバイオレンス。オートロックの自動ドアの向こう、嘘くさい軽さで降り続けるバイオレットの雨。

積み重ねた時間の重さを、彼の暴力的なてのひらを、俺の美しい言葉たちを想う。愛憎も恩讐もなかった。ただ生きて動く身体だけがあった。ナイフと拳と俺の言葉は、きっと彼にとってはノイズ以外の何物でもないのだろう。彼は俺をノミ蟲だと言う。それなら俺は、生きて羽音を響かせ続けるしかない。鳴りやまないノイズで、彼の日常をパーティー仕立てにするしかない。

気付いたときには彼のまわりにたくさんの人がいて、俺は街の暗がりに沈みこもうとしていた。もう半分くらいは沈んだかもしれない。エレベーターのドアが閉まり、くん、と軽い重力がかかる。このまま閉じ込められれば、俺は沈みきらないかもしれないよ? だけど、それを言っても彼に何のメリットもないことが分かっているから、俺は笑ってされるがままになっている。唇をこじ開けられ、舌に歯を立てられた。獣のディナータイム。何度繰り返しても死んでしまいそうな感覚だった。こんなにも死にかけているのに、どうしたって死ねないのは、やっぱりエレベーターが完全な密室じゃないからだろう。彼の右手が俺の首に擦りつけられる。俺の左手は彼の腰をつかんでいる。引き裂きたかったけれど、指の力も腕の力も足りなかった。

上手いやり方を永遠に知らないまま、彼はへたくそなディナーを続けていく。皿の上の蟲は、羽をばたばたさせながら、もがれていく自身を嗤い続ける。エレベーターが揺れ、隙間からぬるい風が吹き込んできた。いっそ閉じ込めてほしいのに、ワイヤーに釣られた鉄の箱は、不安定なまま昇り続ける。

「シズちゃんなんか」

何一つ言葉にならないまま、俺は彼の右手を思い切り振りはらった。一緒に髪が何本か抜けて、耳元が一瞬冷たくなる。バイオレンス! 喧嘩人形が俺に、俺だけに叩きつける、殺意と愛情のバイオレンス!

「大っ嫌いだ」
「……知ってる」
「死ねばいい」
「死にたがりはそっちだろ」
「俺を見て死にたがりだと思ったなら、」

君は相当の馬鹿だね。お互いにお互いを理解しない、されたくもない、そのくせ舌は噛むし刺すこともある。俺と彼はどこまでも行き詰っていて、いつかは不完全な密室から追い出されるだけの、どうしようもない二人だった。こうして俺はすぐに言葉で逃避するし、彼は振り払われた右手で俺の首を掴む。共通点はひとつもなかった。分かりあえる余地はゼロだった。息をとめて睨みつけて、小さく出した舌で唇をなぞる。永遠のジレンマが、揺れる密室の中に満ちていた。

「あと何回、やる?」

それでも俺はこの声に、言葉に、数えきれないほどの意味をこめる。彼によって粉砕される言葉だろうと、そうするしかないことを知っている。諦めている。そしてほんの少し、喜んでもいる。永遠のジレンマとバイオレンス。俺と彼の、終わりのないパーティ。

「分かってんだろ」

チン、と間抜けな音がして、扉がゆっくりと開いた。右手が首を離れ、俺の左手首を上からつかむ。引きずられるようにしてエレベーターから出た。部屋まではほんの数メートルしかない。夜は長く、深かった。俺はまた沈み切れずに、彼の手の下で嗤っている。ひどく泣きたい気分だった。肺を震わせて息を吸う。俺を引いて笑う静雄のために。右手でナイフを握りしめながら、次の言葉を紡ぐために。








『最後さえいらないふたつの手 あぁ、違(くる)いだすように 心の針が飛ぶ』―――♪Dependence Intension