繰り返されるモチーフがある。たとえば静謐な夜がそのうちのひとつ。俺たちの女神さまにとっては、夜は真っ黒な水を湛えた器に見えるらしい。零れ落ちる滴が闇を打つたび、その響きに心臓が止まりそうになるのだと。俺にはそこまでの語彙がないから、どう言ったものか分からないのだけれど、その感覚はなんとなく掴めないでもなかった。静かな夜は平和だが、真っ暗だ。都会の真ん中にあってさえ。
時々ガキみたいにセンチなギタリストは、多分それを孤独と呼ぶ。
寝がえりをうった先、ベランダに出るための窓のところに、寝る時まで上下真っ黒な臨也が立っていた。細くあけた窓から夜風が入り込んできて冷たい。煙草を吸うでもないのに、まったくもって意味が分からなかった。他人には迷惑しかかけない男なのだ。死ねばいい。
遠くで鳴る救急車のサイレンの隙間をぬって聞こえてくるのは、多分この間、出そうとしてだめになった曲だろう。鼻歌。高すぎも低すぎもしない、鼓膜を幽かにひっかくような独特の声が、上下に揺れるメロディラインを紡いでいるのだ。悲劇的、と新羅が言い、悲しくなる、と門田が言ったその曲を、臨也は微笑んで切り捨てた。方向性の違いってやつだね。臨也と同じ方向を向いている人間なんて、この世にひとりもいやしないのに。
改題も改変も認められずに、完成しかけたその曲はそのままボツになった。使われなかった曲なんて他にたくさんあったけれど、臨也が歌っているのを見たのは初めてだ。気に入らなかったんじゃねえのかよと毒づくには、奴の声は小さすぎる。暗い水面にさざ波を立てて、すうと消えていくだけの、できそこないの歌。誰にも見向きされずに、夜の底に溶けていく声音。
家に帰るのが面倒だといって、転がり込んで来たのは臨也なのに、なぜ部屋の主である俺が息を殺さなければならないのだろう。俺は寝転がったまま、音をたてないように丸くなった。膝を抱えて背を丸めると、この身長でもひどくコンパクトになれる気がする。奴が抜けだしたあとのシーツはもちろん冷たかった。その冷たさを嘆くほど通じ合っちゃいない。
繰り返されるモチーフがある。セルティの歌詞は多彩で、いくつも世界があって、俺には到底思い付かないものばかりだけれど、そこにはいつも同じ夜が横たわっている。距離感。浮遊感。つめたい雫と、交わされない決定打。
夜ごとにやってきては、何も言わずに帰っていく夜の人間。
からら、と音をたてて、臨也が窓を閉めた。冷気と共に雑音も断ち切られた部屋は、臨也の歌声でいっぱいになる。時々かすれるその声で、俺のまるまった身体を浸していく。イメージだ。セルティにあって、俺になくて、臨也が切り捨てたものだ。
まぶたを閉じるのと同時に、奴は俺の方へと歩き始めていた。狭い部屋だからあっというまに距離を詰められるだろう。俺は目を閉じてじっとしている。眠っているふりをしている。あと5秒もすれば額に降って来る感触を、俺は知っている。お互いに決定打を待ったまま、ずぶずぶと沈んでいるのを知っている。
歌がぴたりと止むその瞬間、俺はすうと目をあけた。臨也は何も言わなかったけれど、夜の水面が震えたのが分かった。