左耳にひとつ、右耳にふたつ。知らない間にくっついていた銀色の粒を、静雄は心底忌々しいと思った。なんだあれ。いつのまに。しかもなんで左はひとつなんだよ。

「それうぜぇ」
「は?」

聞こえていなかったはずもないのに、臨也はペットボトルから口を離し、丁寧に首を傾げた。

「なんでシズちゃんに許可取らないといけないわけ?」
「……許可?」
「俺に断りなく開けてんなよってことじゃないの?ピアス」
「そんなもんどうでもいい、別に」
「じゃあ何。わけ分かんないね相変わらず」

こくり。小さくのどが動いて、また水が流し込まれる。ラベルをはがした味気ないペットボトルの中の、ぬるくなった透明の水。ミネラルとかイオンとか、静雄にはよく分からない難しい成分が他にもたくさん溶け込んでいるらしい。目には見えないけれど。

「貰いものだよ。かわいいでしょ」
「かわいくねえよ」

足元に落ちていたリモコンを取り、デモテープを流し続けていたコンポを止める。こちらは赤外線。目に見えないものが空中を飛び交っている。サビ前のベース、と臨也が呟いて、また水を飲んだ。気になるフレーズがあったか、気に入らなかったかのどちらかだろう。一度口にしたことは忘れないらしいギタリストは、時々そうやって声で脳内にメモをとる。あとで新羅にお呼びがかかるのだろう。

季節のめぐる速度は、軌道に乗り始めたバンドをあっというまに掠め取って、次の夏へと連れて行く。アルバム用に作るはずだった新曲は、どこかの誰かの耳にとまって、そのままドラマで使われることになったらしい。らしい、というのは、静雄だけが詳細を把握していないからだ。歌、声、音。その他のことは、静雄の外側をするすると流れて行く。最近はどうしたことか、水ばかり飲んでいる薄っぺらい男のこともひっかかるようになったけれど、それはまだ誰にも言っていない秘密だった。誰かに言った時点で秘密ではなくなるのだろうか。渦を巻き始めた思考にいらついて舌打ちをしたら、今度こそびっくりしたような顔で臨也が振り向いた。

「なぁに苛々してんの?生理?」
「おっま、え、馬鹿……!」
「あは、俺も我ながらびっくりした。ごめんごめん」

シズちゃんはこんなこと言っちゃだめだよ?小さくて丸いピアスを三つもくっつけた男が、誠意のかけらもない声で笑う。会話の切れはしごとに水を飲むのは癖なのかもしれない。静雄には、そのあたりの微妙な機微みたいなものは測れない。たとえば間のもたせ方だとか、感情をきちんと説明する語彙だとか。足りないものばかりだった。そしてそのことを、臨也も嫌と言うほど知っていた。

「そうだなあ、じゃあ今度金色のやつ買ってよ。そしたら付け替えるから」

短い黒髪の下、丸出しになった耳元で銀色が光る。誰とも知れない人間から、臨也にくっつくために贈られた銀色。形こそ真ん丸だが、星の粒だ、と静雄は思った。ライブ中の照明や、それに照らされる汗のあとなんかを思い出してしまう。苛立ちの原因がつかめた気がして、けれどすぐに砕け散ってしまった。臨也がまた水を飲み、唇をなめる。

「……ほんとか」
「あ、マジだったの?じゃあ本当ってことにしようか。約束する?」
「テメェの約束ほど信じられないモンはねぇんだけどよ」
「週刊誌に撮られちゃうかもね」
「あ?」
「話題沸騰のバンドボーカル、お忍びピアス購入」
「誰が喜ぶんだよそんな記事」
「新羅とか、」

こくり。最後の一口まで綺麗に飲み終えて、臨也はペットボトルをひょい、と投げた。静雄の顔面に向かって。

「っと」
「あと俺とか。じゃあシズちゃんそれ片付けたら、荷物まとめて出て来てね。上で車回してもらってくる」
「はぁ!?おい、」
「デモの感想もまとめておいてよ、そのために時間もらったのに何もありませんじゃドタチンに怒られるからね」
「おい臨也」

とってつけたようなあわただしさでデスクの上を片付け、リモコンでコンポの電源を落とす。ぴぴ。また赤外線が走ったけれど、静雄には見えない。早口なくせに上機嫌な声のまま部屋を出て行った臨也の顔も、静雄には見えなかった。ただ銀色の粒がふたつ、ちかちかと瞬いたのだけが、いつまでも網膜にはりついている。静雄はうなりながら、手の中のペットボトルを握りつぶした。