あね、の一言だけでさらりと逃げてしまえる度量は、いつだって帝人を酷く魅了した。両手いっぱいの情報をまるで空気のように扱って、知らぬ存ぜぬシラを切る、その手腕はじわじわと、躯の奥に憧憬を滲ませた。

「流れ星をはじめて見た子供が、」

帝人のパソコンをずっといじっていた臨也はふいに顔をあげ、手持ち無沙汰な部屋の主をまっすぐに見る。
「先生に詰め寄るんだ。あれは何?どこから来たの?どうして輝くの?どこへ行くの?」
「それで?」
「先生は答える。あれには天使が乗ってるんだよ――」「うわぁ」

思い切りヒいた声をだす帝人は、しかし脳裏で薄く笑った。――その子はひとつ質問を忘れている。

「小さい子相手に、あれは小天体の燃えクズだよなんて先生も言えないよねえ」
「臨也さんならやりかねませんね」

含み笑いひとつで臨也は画面に向き直った。キーボードを叩く軽い音。帝人もつられて、無意識に指を動かす。スペース、スペース、スペース。何度変換すれば、この黒い憧れは、

「つまり俺達って彼らと同じ配役なわけだ」

びく、と指が止まる。警告だ。低く落とされた声音は、多分狩りの合図なのだ。

「……情報がクズってことですか」
「君――案外かわいいね」
「その子ほど純粋なつもりは、」
「そうかな」
「だって僕なら、――もうひとつ」
「質問が?」
「あなただってそうでしょう、」

うわずりそうになるのを必死に抑えて、
「聞かなきゃいられないハズだ。答えが嘘だと分かっていても」

臨也の目がついと細まった。
会話を転がせ、隙をつくるな、言葉を止めるな。帝人の頭の中で鳴り響く警鐘と、読まれているという焦りが、ごっちゃになって喉をふさぐ。
 
「どこの世界も王様ってのは大変だね」
「……彼は将軍です」
「国民全員の首にかわる唯一、という意味で」
「……飾り物のリーダーになりたく、ない」
「そうならない手腕は既に君のものだよ」

足を組みかえて臨也はうそぶく。「君に足りないのは、切り捨てるためのナイフかな」

待たれている。直感的に帝人は思った。彼の望む言葉は、多分ワンパタンだけだ、と。

「大勢を動かすってのはそういうことじゃない?」

知らないところで軍団を作り上げていた友人の顔が目に浮かぶ。彼もそうしたのだろうか。彼の手にも、そして自分の手にも、その――ナイフは。
「先生って柄でもないけど、答えるに値する質問になら喜んで応じよう。流星は兆候、暗黒は雄弁、カラの玉座はこちら側――だ。境界の概念に気づくのは、往々にして線を越えたあとってことさ」

帝人の唇は凍りついた。――待たれているのは、わざと聞かなかったから?

「あなたになりたいわけじゃ、ない、」
「でも俺の見てる世界が見たいんだよね」

超えろというのか。その線を、たったひとりで。

「――……、」

超えるための言葉を帝人は持っている。流星を欲しがるよりもっと冷たいものだったけれど、確かに帝人は持っている。


「……『どうすれば手に入るの』」


うっそりとつりあがった唇の向こう、戦慄するほどの黒い夜空が見えた。ひややかな星光の雨を祈ったのに、それはなかなか訪れなかった。
 
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門田と臨也


に絶えた情報の墓場だよ。薄暗い空間をそう評したきり、元凶はずっと黙したまま、移動と思考を繰り返している。ジジッ、と蜀台を模したランプが揺れた。嘘っぽいが妙に凝った細工。足音を殺してしまうカーペットは淀んだ真紅で、わずかにホコリくさい。お伽話にでてくる魔女が、毒々しい色のワインを垂らしてしみこませている様を想像した。奴らにアテられて出来てしまった妄想癖、だ。


「墓場ねぇ――」


天井まで届こうかという巨大なステンドガラスの向こうは未だ大雨。横殴りの水滴が激しく窓を叩き続けるが、不思議と音は聞こえなかった。もたれ掛かって嘆息する。ひやりとした冷気だけが、現実と仮想をつないで――これも妄想か。
もはや古城の佇まいだが、一応ここはれっきとした図書館である。図書館ではあるが、こんな大雨の中、しかも平日の昼間、郊外の更に果て、となれば、当然動くものは自分と元凶――黒衣をまとう情報屋のみ。

「さむぅ……」

俺1人じゃ持ちきれないから手伝って。バンをタクシーに、俺を荷物持ちに任命した男は今、少し離れた本棚から分厚い本――たぶん洋書――を取り出している。薄闇に慣れた両目には、白い指先は少々刺激的だった。何気ない動作で視線を絡めとる優雅さ。そのくせ人混みに紛れ込むのは病的に上手いのだからお手上げだ。

「―――、」

淡々とした所作で床に積まれていく洋書が6冊をこえたところで躯を起こす。古書独特のかび臭さが漂うだけで、己の衣擦れの音も、足音も聞こえはしなかった。幽かな息の音、それすらもどちらのものか分からないくらい。

ここでは、音も死んでしまうんだな。
 
「……半分」
ぬっと突き出した手に予想以上の重さがのせられる。一番上のはタイトルからして英語じゃなかった。顔を上げると笑いをたたえた目とぶつかって、気まずい沈黙。なんだこれ。

……重いな。そりゃ死体だから。何の?言ったでしょ、ここは墓場だって。

湿気を含んだ紙の束はじっぷりと重い。科学に捨てられた享楽の重みだよ、と笑いながら、更に積まれる厭な重量。あきらかに半分じゃないだろ。しかもさっさと先行ってるし。

「……お、この絵知ってる」

自然と囁く形になった俺の声を、しかし正確に拾い取って奴はふりむいた。器用に片目だけ眇めて答える、

――生きつづけることに、なんの意味がある?


この距離、視線、吸い込んだ空気のすべてが――――ゆるやかに、死にゆく。

「ワケが、分からん」

無音のままふり続ける雨の中、互いの尾に噛み付いて絡み合った2匹の蛇が、薄鉛色の表紙からただじっと俺を見ていた。
 
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「寸止めにしようとしたのはホントだぜ?いやマジマジ。映画とかでよくあるじゃん、すっげー顔近いとこでピタっと止まってさ、低い声で―――え?そんなこと言わねえよ!ホストか!あはは!まあうん、でもそうなのよ。ところがさあ狗木ちゃんときたらウルウルの目で、あ?よろけてないよ?直立不ど……わわ切るなってコラ!それで俺をギッと睨みつけてくるもんだからさあ止まるモンも止まんねーっつーか……いやいや妄想とか失礼だなお前!ホントに思いっきりいっちゃったんだって!丁度いい身長差だったし!両腕だってひとくくりですよ!ん?……ないないそれは無い、え、あっすんません調子のった俺調子のりました!は?銃?そりゃーもうゴリゴリですよ!位置的には下腹ぶっ……あはははっははは!お前それセクハラ!もうホストになったら?……あーご贔屓にさせてもらってますが。まま、それはいいとしてさー、……あ?ムリムリ!狗木ちゃん超ウブなんだぜ!?なんたって……え、違う違うウブ!ピュア!ピュアピュアのピュアリー!電波悪い?今東京だけど?あ、しってるか。……そうそう慣れてねーってこと。でさ、寸止めも駄目だったしいっそいれちゃおうかと……ちげー!!そう舌ね舌。べろちゅー。お前分かってやってるな?……ああ、もちろん殴られたよ。いやー良い振りぬきだった。顔面だから鼻血ダラダラ。……それ難しいだろー。でも身長が……あれそんなモン?つうかそもそもの力量がな。そうそう。……えーマッチョは厭だぜ俺。あはは、いいじゃん、もう相手はエイリアンかプレデターかと思えって。対戦車砲とか揃えてから試せよ。腕は手首で括って頭の上だぜ。……そ、バイト中。んじゃそろそろ切るな。―――あ、行く行く。また電話する。狗木ちゃんも連れて、……はい調子こきました多分ムリ。んじゃーな、そいつにもよろしく!」





「……長ぇ電話」
「あー悪い。しかも結構下世話な話題だったよ……な」
「それはいいけど……なに、友達?」
「そ、不健全なお付き合いのね。ところで休憩何時までだっけ、静雄?」
 


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輩を手玉にとるか、と俺がつっこんで、

失礼な、首に紐つけて繋いだだけだよ、と臨也は笑った。

お前最悪はやく死ね、と静雄が顔を顰めて、

あんなのが好みなの、扱いきれるの、と俺は要らぬ心配をした。

シズちゃんの好みはあれだよねえ、ちっさくて可愛い子だよね、と臨也がにやついて、

あーなんでこの世にお前は存在すんのかな、手違いだろ、と静雄が唸り、

幽くんに可愛げってやつをごっそりあげちゃったシズちゃんだって手違いだろ、と臨也が言うので、

何の手違いだよ、と話半分に聞いたら、

染色体、と真顔で返すド外道。

あーそれにしたって美人の先輩じゃない、と俺は必死に話をそらす。

男見る目が無ぇよ、と静雄が吐き捨てる。

金の切れ目が縁の切れ目、と臨也が唄うようにいって、

なんて厭な高校生、と俺は背中のフェンスにもたれ掛かった。

首なしフェチと単細胞も、と臨也が伸ばした足を、

お前ほんと早く死ね、光速で、と静雄が蹴って、

なんだかなあ、と振り仰いだ天上は一面抜けるような色彩で、

蒼天に沈めよ灰燼、と意味も無く呟いて、

そうして、やがて来る冬を待った。
 
 
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ういう何もかも蔑んだ目には、

赤も白も透明も全部ドス黒に見えているクセして、

世界は美しいだなんて平気で語るものだから、

苛々とただひたすらに爪先を揺らしても、

それが的確に鳩尾をえぐることなど無く、

緩々と殺意を浮かべて流してみても、

それが一瞬で理性をブチ壊す劣情に勝てることなど無く、

爆発と爆発の間の僅かな隙間に漂うのは、

きいんと鼓膜を刺す甲高い耳鳴りと、

ぱあんと脳髄を殴りつけた銃声だけで、

忌々しい声音を捕らえて離さない厄介な耳からは、

今もまだ細い紫煙がさまよいでているのだけれど、

その薄い色の煙の帯をかき消す手は、

今しがた引き金を引いたのと同じ手だということに、

初めから気づいている俺達は、多分きっと途方も無く、

途方も、無く。