でもあれは間違いじゃないでしょう。

爪の先とはよく言ったものだ。まさに爪の先くらいの細く白い月が、すっかり晴れ渡った空に頼りなさげに残っている。雲はない。水彩絵の具を溶かしたような、つまりそういう陳腐な表現が合うくらいには、安っぽくて薄い水色の空。細く白い月。巨大な誰かの爪あと。いじらしさと、僅かな執念深さ。

でもあれは間違いじゃないでしょう。

腕時計のデジタル盤はしっかりと午前8時を刻んでいる。もう朝だ。日付はとっくに変わっている。空は蒼い。これを夜空なんていう馬鹿はいないだろう。いたら殴ってやる、と一瞬思った。空が青いと、地球が丸いのがなんとなく分かってちょっと好きだ。これを笑う奴はまあ半殺しだな。宇宙飛行士でもない人間は、地上にありながら天体の丸さを想像するしかないのだから。

でもあれは間違いじゃないでしょう。

空は全身で朝を叫んでいる。そこに薄く残った、細く白い月。僅かな齟齬を感じるのは誰だってそうだろう、特にガキの頃なんかは。夜のいきものが、厭だ厭だと、まだここにいたいのだと、朝に成り代わっていく空にしがみついた跡があるのだ。そこにいるのはもう間違いなのに、まだ細く白く、残る違和感。

でもあれは間違いじゃないでしょう。

午前8時の空は朝のいきもので、安いセロファンみたいな水色は地球の丸さを見るのに丁度良い。おかしなことに、忌々しいことに、憎たらしいことに、その全てを一笑にふす人間を俺は知っている。奴の持論でいけば、あの細く白い月はまったく間違っちゃいないらしい。

「空が朝になるのが早すぎるんだよ。月は、俺が消えるまでが夜だろうふざけるなおい、って残ってんのさ。間違ってるのはさっさと青く染まってしまった空であって、それを朝と称した人間であって、その色から球体を読み取ろうとする試みであって、―― それに挑戦しちゃった君なわけ。ね?」
(何が、ね?だこの鬼畜野郎!)
俺は開け放した窓から身を乗り出して、ぎっと空を睨んでやった。細く白い月が、薄青を背にゆらゆらと浮かんでいた。