非常階段の踊り場には、大通りの明かりが届かない。鉄錆と汚水の臭気が混じり合って、足元に重く沈殿している。
夜には質量がある。目に見えず数値で表せないだけで、鬱々とした暗黒には確かな感触があった。文字通り肌で触れて感じるもの。毛孔のひとつひとつから入り込み、血管の中をのたうつ疼痛。言葉がカバーする両機を、臨也はほとんど信仰に近い形で好んでいる。詩的な表現も芝居がかった言い回しも、臨也にとっては「午後三時のミルフィーユみたいに」愛すべきものだった。言葉は身体を絡め取る。輪郭を規定する。呪いと言祝ぎが表裏一体なのは、結局どちらにせよ死から逃れられないから。
「やっぱり相槌がないとはり合いが出ないな」
自嘲じみた声で吐き捨てて、臨也は階段に腰掛けた。足をのばし、子どもっぽくぶらつかせる。凝った暗闇は当然消えるわけもなくて、タイトな黒いジーンズの裾にじわりと染みた。
「言いたいことが死ぬほどあるんだよ、分かるかな。聞いてほしいわけじゃなくて、……それは限りなくイコールに近いものではあるんだけど。理解の可能性と不可能性にまで話を及ばせることだって出来る。まあ、長くなるからやらないけどさ」
語尾をすうと引かせる喋り方。臨也はにんまりと笑って、投げ出した足を組んだ。喋り方も、音を立てない所作も、意識が強すぎて無意識のアクションにまで昇華してしまったものだ。常に誰かの目を気にしている。感じている。視線の質量を――夜のそれと同じように。
「俺は言いたいことがたくさんあるよ。喋り、紡ぎ、回転させることが俺を規定して、さらには現実を変えていくなら、俺は何だって。何度だって」
組んだ足の先で、つつ、と暗闇をなぞる。一呼吸おいて、ゆっくりと爪先を押し込んだ。低い呻きに知らず笑みがもれ、確かな肉の感触に喉がなる。臨也の好きなやり方で言うなら、「爪先はまるで愛撫に飲みこまれていくように」だ。徹底した現実主義者が好む甘ったるいジョーク。
「これが全部ジョークなら良かったのに」
だって現実には、触れられる夜なんて無い。
臨也は立ちあがって階段を降りると、踊り場にすとんとしゃがみ込んだ。先ほどまで爪先で抉られていた闇が震えている。黒々とした輪郭は、臨也が持てる限りの雑言で規定しなくても、すでにはっきりとした怒りを伴ってそこに在った。恐怖でも苦痛でもない、爆発寸前の怒りの塊。ネオンすら射し込まない非常階段で、鉄錆の匂いのする小さな海にぽつんと横たわる、濡れたいきもの。かつての絶対の敵。
「ね、俺を殺したくなったでしょう?」
怪物でなくなった君に、一体どれほどの価値があるというの。臨也は幼い目つきで――意識的なアクションで――静雄をじっと観察しながら、にこりと微笑んだ。世界で一番暗い場所で、臨也が垂れ流す毒の言葉が、静雄の身体をまたひとつ、無感動な夜に分解していく。